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デミトリ・デニッシュ【オー・クレアロン】

デミトリ・デニッシュ【オー・クレアロン】

デミトリ・デニッシュ【オー・クレアロン】

価格:

374,000円 (税込)

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絵柄サイズ:51cm×76cm
技法:ジクレー

*こちらの作品は、海外からの入荷になりますので、事前に在庫確認の
 ご連絡をお願いいたします。



ドミトリ・デニッシュは、1966年、ウクライナのハリキフに生まれた。生まれながらの
アーティストだったデニッユは、歩いたり話したりする前から鉛筆を手にして絵を描い
ていたほどだった。
ドミトリの才能を最初に見出したのは、やはりアーティストである彼の母親だった。
彼女は、息子が自分の考えや感情、そして願望などを、創作を通して表現するのを見て
色や形を介して息子とコミュニケーションをとることを始めた。
やがて、絵画はデニッシュにとって、息をし、食べて眠ると同じように自然なこととな
ったのである。


5歳になる頃には、デニッシュはプロの画家から最初のレッスンを受けていた。
彼はいつでも質の高い風景画や肖像画、静物画、そして抽象画を描くことができた。
13歳のときには才能に恵まれた子供たちが集まるハリキフの美術学校への入学を許され
15歳になるとハリキフ国立芸術大学に入学した。(1982年)


デニッシュが最も好きなジャンルは都市の風景画だった。彼は本で読んだ都市、ラジオや
人々の会話で聞いた都市、切手に印刷されている都市などを描いた。そして頭の中で新た
な国を創造して、そこにある都市や通りや運河、そしてドアや窓を描いたのだった。
デニッシュは、象徴的な雰囲気で惹きつけるようなドアや窓を描くのがとりわけ好きだ
った。ドアや窓は彼に未知の世界を見せてくれて、その世界に入らせてくれるのだ。それは
現実世界ではできないことだった。彼の想像力は、夢の中で見た見慣れない不思議な世界
に彼をつれていくことができた。


大学生の頃にはデニッシュは、生まれ育ったハリキフの街に夢中になった。故郷の南部の
都市の様々な建物、木造の家々や壁、大きな木々の下の小さなコーヒーショップ、そしてこ
こでもまたドアや窓を描いた。デニッシュの絵では、ハリキフは温かく住み心地のよい場所
として描き出されている。


1986年、デニッシュは大学を卒業すると美術を教え始めた。しかしすぐに、美術教師は自分
の天職ではないということに気づいた。彼の望みは美術を人々に教えるのではなく、美術を
通して自己表現することだった。デニッシュは陸軍に入隊して3年間務めたが、兵役があける
とすぐにハリキフ国立工芸大学の美術学部に入った。そして生活のために絵を描き始めた。


それから2年後、デニッシュは格式あるウクライナ芸術家協会のメンバーとなり、彼の絵は大
人気を博すことになった。芸術家として名をなしたデニッシュは、ウクライナやロシアをはじ
めとして、その他の東欧諸国でも作品を発表し始めた。


2000年には、ハリキフ国立美術館が『都市と山』と題して、デニッシュのソロ展覧会を開催し、
常設展示コレクションに入れるために3点の作品を購入した。2000年から2001年にかけて、
ニュージャージー近代美術館もデニッシュの作品を3点購入している。また、2003年には、ウ
クライナ政府が彼の絵画1点を購入し、駐ウクライナ米国大使の辞任にあたってプレゼントし
た。


デニッシュは、ロシアの国境が開放されてからは、子供の頃から夢見ていた都市や国々を訪れ
、ヨーロッパ中を旅している。ローマ、ベニス、シエナをはじめとして、フランス、オランダ、
ハンガリー、オーストリア、ギリシア、トルコなどの国々の多くの都市で時を過ごした。
2005年には、初めてのアメリカ訪問をを行い東海岸と西海岸の両方で何回かの個展が開催
され、大好評であった。


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